sidekick代表 平原 哲夫

青梅の整体sidekick代表

名前

平原哲夫

出身地

東京都青梅市

出身校

  • 東海大学文学部広報メディア科 卒業
  • Royal Melbourne Institute Technology‐unit Japan 卒業 Clininal Excellence(臨床最優秀賞)受賞

略歴

4年制カイロプラクティック専門大学を卒業後、世田谷区用賀や千代田区飯田橋のカイロプラクティック整体院に勤務。青梅市にてカイロ+スポーツケアsidekick整体院を開業する。

保有資格

  • 応用理学士(医科学)
  • Bachelor of Applied Science(Clinical Science) -Australia-
  • カイロプラクティック理学士
  • Bachelor of Chiropractic Science -Australia-
  • 日本カイロプラクティック登録機構(JCR)登録カイロプラクター
  • 栄養医学研究所 Clinical Nutrition School 修了

所属

自己紹介

こんにちは、青梅カイロ+スポーツケアsidekick(サイドキック)整体院の平原哲夫です。私がカイロプラクターになったのは、身体の不調に苦しむ家族や私自身も腰痛を経験したことがきっかけでした。

私の生まれは東京都青梅市の御岳という自然に囲まれたのどかな地域で、実家は酒屋を営んでいました。子供の頃は夏休みになるとお店の手伝いで、地元の観光名所の御嶽山にあるお店や山荘へとお酒やお米、プロパンガスや灯油を配達する仕事にくっついて行っていました。

どの荷物もとにかく重たいので、長年の重労働によって腰や膝を悪くしていた祖父や、配達中の交通事故で腰や脚に後遺症を抱えてた母の痛そうな姿をよく覚えています。痛みでつらそうな家族の様子に子供ながらに心配になりました。

sidekickの理念「You are my inspiration!」(あなたは私の元気の素!)はこの時の家族を心配する思いから生まれました。「健康でいることは自分だけでなく、まわりの人間にも元気を与えてくれる素晴らしいこと」という意味が込められています。

その後、社会人になって流通業の仕事についた私は、朝早くから荷物を合計1トンくらい積み下ろしたり、何時間も立ちっぱなしの作業をしたりと肉体労働の毎日でした。そんな生活が何年か続いたある日の仕事中、私は生まれて初めて”ぎっくり腰”になってしまいました。

「腰痛ってこんなに辛いのか……」仕事がら会社の先輩には腰痛や坐骨神経痛の人が多かったので、予防のため自己流の腹筋トレーニングをしていましたが、今思えば腰痛には逆効果なやり方をしていました。こうしてぎっくり腰を経験してからは、仕事が忙しい日が続くと腰に痛みを感じるようになり「またぎっくり腰になるんじゃないか?」といつも不安を抱えていました。

すっかり慢性化していた私の腰痛でしたが、やはり腰痛持ちの知人の紹介でカイロプラクティックを受けることになりました。正直なところそれほど期待はしていなかったのですが、初めて受けたカイロプラクティックで大幅に腰痛が楽になりました。そして繰り返し通っているうちにぎっくり腰の不安も完全に解消されたのです。

治療の効果を実感した私は、祖父や母のことを思い出しながら「家族にこういう仕事している人間がいたらみんな助かるだろうな」と半ば思いつきで仕事を辞めて整体スクールに通いだし、整骨院でアルバイトを始めました。

中学生の頃に膝の成長痛にかかり、通院した整骨院の先生がとても優しい先生でしたので、整骨院には良い印象を持っていたのですが、アルバイト先の整骨院で働くうちにどんどん印象が変わっていきました。どんな症状の患者さんでもマニュアル通りにひたすらマッサージをするだけ。腰痛だろうが肩こりだろうが毎回同じマッサージを繰り返し、とても治療と呼べるようなものではありませんでした。都内で数十件の整骨院を経営する会社でしたが、一番がっかりしたのは単なる肩こりでも外傷、ケガということにして健康保険を利用し、安い料金で患者さんを集める、いわゆる不正請求が当たり前に行われていたことでした。

「このまま整骨院につとめていても人の身体を良くすることはできないんじゃないか?」そんなことを考えていた時に、偶然カイロプラクターの先生と知り合いになることができました。

その先生の技術や知識量は圧倒的で「普段働いている整骨院て何の意味があるんだろう?」と思ってしまいました。「自分もカイロプラクターの先生みたいな『治療家』になりたい」と決意し、先生の母校であるRMIT(ロイヤルメルボルン工科)大学カイロプラクティック学科日本校へ入学しました。

RMIT大学日本校は、国際的なカイロプラクティック教育の基準をクリアした日本で唯一の専門大学ということで、医学部のレベルの講義内容でしたから、勉強についていくのが本当にきつかったです。

例えばオーストラリアでの1ヶ月間の解剖実習では、何体かの解剖されたご遺体に無数のピンが刺されていて、そのピンが刺さっている組織の名前を答えるという最終試験をクリアしないと単位がもらえませんでした。糸みたいに細い神経や血管を身体の位置関係から判別していくのですが、教科書と解剖された実物の違いに、頭は混乱しっぱなしでした。

座学も大変でしたが、実技にも参りました。カイロプラクティックの実技は習得が非常に難しいです。「これは一生できないんじゃないか」と悩んで夜眠れないことが何度もありました。

なんとか卒業することができましたが、全日制のカリキュラムで4年間朝から晩まで勉強漬けの毎日は本当にどうにかなりそうでした。

卒業後は都内のカイロプラクティック院で働くことになったのですが、整骨院でアルバイトしていた頃よりは明らかに不調で困っている方のお役に立てている実感がありました。

それでも、私には対応しきれない症状の患者さんはたくさんいらしたので、治療技術やトレーニング法、栄養学など、様々な勉強会に参加し続けています。そのおかげで、カイロプラクティックの施術を通じて多くの方に喜んでいただけるようになりました。

そのうちに「学んだことをもっともっと活かせるような環境を作りたい」という気持ちが強くなり、独立開業を考えるようになっていきました。

また、青梅の家族や知人から「こういう症状で困っているんだけど、どこに行けばいいかわからない」という話をたびたび聞いていました。私の知るかぎり青梅市には国際基準のカイロプラクターが存在しないので、紹介することもできず私も毎回返答に困っていました。

「それなら自分がお世話になった地元青梅の人達の役に立てるようになろう」そう決意し、青梅市でカイロ+スポーツケア「sidekick(サイドキック)」を立ち上げました。

「sidekick」には”パートナー”という意味があります。あなたの健康のパートナーとして全力を尽くしていきたいという思いから、この名前を付けました。

これから皆さまのお身体のサポートができることを楽しみにしております。最後までお読みいただきありがとうございました。

sidekick代表 平原哲夫

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